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カシマウイング 昭和の終わりから平成のはじめの2着帝王・・・

カシマウイングには2着がとても多い。3着といえばナイスネイチャ、ロイスアンドロイス、ホッカイルソーと手駒がそろうが、はっきり言って3着では馬券的妙味は少なく、ただお笑い度が増えるだけである。カシマウイングは全部で41戦しているが、そのうち2着は3分の1以上の14回もある。
しかも、勝つ時も2着に負けた時も、連勝式馬券のヒモにはある程度の人気馬を連れてくる。これは、自分は勝つけれどヒモには人気薄を連れてくることが多かったシンボリルドルフよりも馬券的には信用度が高い、と思う。馬券を考える時には単、複よりも連勝式から入る人が大部分のはずなのであるから。
何はともあれ900万クラスを5戦して卒業し、1400万特別レースをやはり2着した後に選んだレースは、なんとG2のアルゼンチン共和国杯。しかも1番人気!条件馬が重賞レースに出走し、しかも1番人気になってしまうこのレースの存在をなんとなく考えてしまうところだ。
カシマウイングはこのレースに何とか勝利し栄えある重賞ウィナーとなった。
その後、有馬記念はさすがに敗れたが、アメリカJCCに勝ち、立派な重賞常勝ホースとなっていく。
そして、京都記念でカシマウイングはトップハンデの58.5キロにもかかわらず、直線で強く抜け出して、スピードヒーローを半馬身抑えて3つ目の重賞レースを獲得した。その後、1走するものの、約2年の長い休養に入った。
そして降ってわいたオグリキャップブームにも巻き込まれて、いつしかカシマウイングのことなどすっかり忘れ去られた。
長い休養明けで、挑んだレースは有馬記念ということもあって全く見せ場はなかった。だが、その姿は元気だった。
年明け8歳になったカシマウイングはそろそろ引退だと囁かれるなか、金杯、アメリカJCC、目黒記念、日経賞とたて続けにレースに出走。だが、連対はしないまでも、掲示板に載ったり、載らないまでも勝馬からコンマ5秒差に粘ったり、なかなかの善戦を続ける。そして自身の引退レースとなる春の天皇賞出走となる。しかし、このレース、スーパークリークや前年の覇者で、年度代表馬のイナリワンなども出走してくるとあって正直全く期待はできなかった。ただ脚質が先行タイプなので、道中1回でも見せ場があればいいな、と思われていた。
レースの内容は道中先行し、勝負所では先頭に並びかけ、直線入口ではなんと先頭に踊り出ようとしているカシマウイングだった。しかも、圧倒的人気で時代の申し子、武豊が騎乗しているスーパークリークと直線半ばまで併せ馬状態になるとは。。。しかし現実は厳しく、スーパークリークが抜け出し、イナリワンにも差されての3着であった。だが大健闘だった。サクラホクトオーやオースミシャダイ、宿敵でもあるランニングフリーにも先着したのである。大感動でした。最後まで強く印象に残る馬である。

カシマウイングの主な成績(重賞1着)
アルゼンチン共和国杯 l アメリカジョッキーカップ l 京都記念

ヤマニンゼファー 壁を超えるたびに型を増やし続けた名馬・・・

初めはただ単に「短距離ダートの強烈な追い込み」というたったひとつの型から、府中で4コーナー先頭から堂々と押し切る天皇賞馬にまで昇りつめたヤマニンゼファー。彼は壁を超えるたびに型を増やし続けた名馬といえるでしょう。
平成3年3月。ヤマニンゼファーのデビューは鮮烈でした。既出走馬を相手に4コーナー9番手から突き抜け、更に2馬身離す圧勝です。中山のダート1200mで、そんな勝ち方できる新馬はそうはいません。
2戦2勝でG3のクリスタルカップに臨んだヤマニンゼファーは、カリスタグローリから0秒4差の3着に差してきました。連勝こそ止まりましたが、ダートから芝という最初の壁を突破したわけです。
ヤマニンゼファーの次の壁は距離です。デビューから8戦連続で1200m戦に出走した後、ヤマニンゼファーは東京芝1400mのG2京王杯スプリングカップに挑戦しました。結果はダイナマイトダディから半馬身、クビ差の3着。一見1ハロン延長の壁も突破した感じですが、失速した内容には若干不満が残りました。
ヤマニンゼファーの次走はG1安田記念です。競馬専門紙は「胴の詰まった典型的なスプリンターの体系で距離延長?だが、内外によれながら0秒1差の前走内容出色。スタミナ温存から直線一本勝負で・・・。」という、微妙な表現で判断されていた。結果はヤマニンゼファーが快勝でした。しかも、4コーナーを回ってすぐに先頭に立つという横綱相撲で・・・。ヤマニンゼファーは距離の壁を破ると同時に、融通の利かないストレッチランナーのイメージも払拭してみせたのです。しかも、G1の大舞台で。
安田記念後の休み明け2戦目、ヤマニンゼファーはG1マイルチャンピオンシップに進みました。しかし、結果は、1着ダイタクヘリオス、2着シンコウラブリイ。肝心のヤマニンゼファーは4コーナーで2番手の位置から失速しました。
ヤマニンゼファーの最後の壁、秋の天皇賞、距離2000mに挑みました。結果は距離不安などどこの吹く風、なんと4コーナー先頭から堂々と押し切っての勝利。
ヤマニンゼファー、単なる短距離ダートの追い込み馬から、数々の壁を超えついに古馬の頂点にまで昇りつめました。

ヤマニンゼファーの主な成績(重賞1着)
安田記念 l 京王杯スプリングカップ l 天皇賞・秋

ミスターシービー この世でいちばん見たいもの・・・

この世で見たいものといえば、それはもう、第50回のダービーのパトロールフィルムである。もちろん、ミスターシービーの斜行の程度がどれくらいだったかを確認したいのだ。
なんでかというと、もうさすがに昔の話になって少なくなってきたけど、いるんだな、ミスターシービーはJRAに作られたアイドルである、なんて言ったり書いたりする人が。
そして、平気で言う。「アイドルを作りたかったからダービーで失格にしなかった」とか、「キクノフラッシュを跳ね飛ばした」とか、「ミスターシービーを勝たせるために秋の天皇賞は2000mになった」なんていう人もいて、ほんとうに困ったものだ。
現在、確認できている第50回ダービーの映像は1種類しかない。フジテレビの撮影によるもので、問題になっている(キクノフラッシュが不利を受けたとされる)直線での外斜行は全く写っていない。その後の内斜行はちょっとだけ写っているが、横からの角度では、そんなに激しいものとは思えない。特に不利を受けている馬もいないようである。
したがって、目の前で外斜行を見ていた、とか、関係者の一人で実際にパトロールフィルムを見た、という人以外は、確認しようがないはずだ。アイドルを作りたいから失格にしなかった、なんていうのは軽々しく口にすべきではないと思うのだがいかがだろうか。
パトロールフィルムを見たある調教師が、ミスターシービーの外斜行は、その前に斜行してきたタケノヒエンを避けるためのやむを得ない処置であり、吉永正人騎手には落ち度は無かったという話もあるし。。
いずれにしても、JRAには、過去のパトロールフィルムを公開してほしいと切に願う。現在は、失格なしの場合でも、パトロールフィルムを公開するようになった。じゃあ過去についてもと思うのだが当然のファン心理だ。あのダービーで、吉永正人騎手を2週間の騎乗停止にしたにもかかわらず、ミスターシービーを失格にしなかったのはなぜなのか。騎手に落ち度はあったが、失格までには至らず、と裁決委員が判断したのなら、ファンにあらぬ疑いをかけられたままにしておくべきではないだろう。

ミスターシービーの主な成績(重賞1着)
弥生賞 l 皐月賞 l 東京優駿 l 菊花賞 l 天皇賞・秋

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